◆バイエルがソニーに対して特許権侵害等に関する警告書(書簡)を送った件につき不競法の虚偽事実告知流布に該当するか否かが争点となった事件。
【虚偽事実告知流布、2条1項14号、2条1項15号、警告、侵害、権利行使の一環、取引先に対する信用毀損、競争優位に立つ目的、事実的法律的根拠を欠く警告、ソニー】
(虚偽事実告知流布 -規範-)
「 当裁判所は,控訴人の主張は当審において追加されたものも含めていずれも
理由がなく,控訴人の請求は理由がない,と判断する。その理由は,以下のとおり
である。
1 不正競争防止法2条1項13号は,「競争関係にある他人の営業上の信用を
害する虚偽の事実を告知し,又は流布する行為」を不正競争行為の一類型として規
定する。この規定は,競争関係にある者が,虚偽の事実を挙げて,競業者にとって
重要な資産である営業上の信用を害することにより,競業者を不利な立場に置き,
自ら競争上有利な地位に立とうとする行為が,不公正な競争行為の典型というべき
ものであることから,これを不正競争行為と定めて禁止したものである。
そうである以上,競業者に特許権等を侵害する行為があるとして,競業者の
取引先等の第三者に対して警告を発し,あるいは競業者が特許権等を侵害している
旨を広告宣伝する行為は,その後に,特許庁又は裁判所の判断により当該特許権等
が無効であることが確定し,あるいは,競業者の行為が当該特許権等を侵害しない
と判断された場合には,一応は,不正競争防止法2条1項13号所定の不正競争行
為に該当するというべきである。
他方,特許権等を有する者が,特許権等を侵害すると疑われる者に対し,十
分な調査及び法的検討を経た上で,特許権等侵害に基づく訴えを提起する場合に,
その前に,文書等により,特許権等を侵害している旨の警告を発する行為は,特許
権等の権利行使の一環としてなされる正当行為であり,許容されるものというべき
である(一般には,訴訟に要する費用,労力等を考慮し,事前の話合いによる解決
の可能性を考えると,いきなり訴えを提起するよりも,このような事前の警告等の
手続を取るのが望ましいと考えられているところである。)。そして,特許法は,
物の発明について,その物を生産する行為のみならず,その物を使用し,あるいは
譲渡する行為等をも,発明の実施としているのであるから(特許法2条3項1
号),特許権者は,その競業者が当該特許権を侵害する製品を製造し,これを譲渡
している場合において,その譲受人が業として当該製品を使用し,あるいは再譲渡
しているときには,競業者たる譲渡人のみならず,譲受人に対しても,その行為が
特許権を侵害するものであるとして,当該譲受人に対し,事前に文書等により警告
をした上で,特許権侵害訴訟を提起することは,同様に正当行為として許容される
ものというべきである。
結局,競業者が特許権侵害を疑わせる製品を製造販売している場合におい
て,特許権者が競業者の取引先に対して,競業者が製造し販売する当該製品が自己
の特許権を侵害する旨を告知する行為は,後日,特許権の無効が審決等により確定
し,あるいは,当該製品が侵害ではないことが判決により判断されたときには,競
業者との関係で,その取引先に対する虚偽事実の告知に一応該当するものとなるも
のの,この場合においても,特許権者によるその告知行為が,その取引先自身に対
する特許権等の正当な権利行使の一環としてなされたものであると認められる場合
には,違法性が阻却されると解するのが相当である。
そこで,次に,特許権者による,このような告知行為が,どのような場合
に,特許権等の権利行使の一環としてなされた正当行為として評価され,違法性が
阻却されると解すべきかについて検討する。
最判昭和63年1月26日(民集42巻1号1頁)は,「民事訴訟を提起し
た者が敗訴の確定判決を受けた場合において,右訴えの提起が相手方に対する違法
な行為といえるのは,当該訴訟において提訴者の主張した権利又は法律関係が事実
的,法律的根拠を欠くものであるうえ,提訴者が,そのことを知りながら又は通常
人であれば容易にそのことを知りえたといえるのにあえて訴えを提起したなど,訴
えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときに
限られるものと解するのが相当である。けだし,訴えを提起する際に,提訴者にお
いて,自己の主張しようとする権利等の事実的,法律的根拠につき,高度の調査,
検討が要請されるものと解するならば,裁判制度の自由な利用が著しく阻害される
結果となり妥当でないからである。」と判示している。
この判決に示されたところが,民事訴訟の一類型である特許権侵害訴訟につ
いても適用されるべきであることは,当然というべきである。したがって,特許権
者が競業者の取引先に対して行う特許権侵害訴訟の提起は,当該取引先との関係で
は,特許権者が,事実的,法律的根拠を欠くことを知りながら,又は,特許権者と
して,特許権侵害訴訟を提起するために通常必要とされている事実調査及び法律的
検討をすれば,事実的,法律的根拠を欠くことを容易に知り得たといえるのにあえ
て訴えを提起したなど,訴えの提起が特許権侵害訴訟という裁判制度の趣旨目的に
照らして著しく相当性を欠くと認められるときに限って違法となるものと解すべき
である。そして,特許権者が競業者の取引先に対する訴え提起の前提としてなす警
告も,それ自体が競業者の営業上の信用を害する行為でもあることからすれば,訴
え提起と同様に,特許権者が,事実的,法律的根拠を欠くことを知りながら,又
は,特許権者として,特許権侵害訴訟を提起するために通常必要とされている事実
調査及び法律的検討をすれば,事実的,法律的根拠を欠くことを容易に知り得たと
いえるのにあえて警告をなした場合には,競業者の営業上の信用を害する虚偽事実
の告知又は流布として違法となると解すべきであるものの,そうでない場合には,
このような警告行為は,特許権者による特許権等の正当な権利行使の一環としてな
されたものというべきであり,正当行為として,違法性を阻却されるものと解すべ
きである。
競業者の取引先に対する前記告知行為が,特許権者の権利行使の一環として
の外形をとりながらも,社会通念上必要と認められる範囲を超えた内容,態様とな
っている場合,すなわち,権利行使に名を借りているとはいえ,その実質が,むし
ろ,競業者の取引先に対する信用を毀損し,当該取引先との取引ないし市場での競
争において優位に立つことを目的としてされたものであると認められる場合には,
当該告知の内容が結果的に虚偽であれば,もはやこれを正当行為と認めることがで
きないことは明らかであるから,不正競争行為となり,特許権者がこれに対して責
任を負うべきことは当然である。そして,競業者の取引先に対する警告が,特許権
の権利行使の一環としてされたものか,それとも特許権者の権利行使の一環として
の外形をとりながらも,社会通念上必要と認められる範囲を超えた内容,態様とな
っているかどうかについては,当該警告文書等の形式・文面のみならず,当該警告
に至るまでの競業者との交渉の経緯,警告文書等の配布時期・期間,配布先の数・
範囲,警告文書等の配布先である取引先の業種・事業内容,事業規模,競業者との
関係・取引態様,当該侵害被疑製品への関与の態様,特許侵害争訟への対応能力,
警告文書等の配布への当該取引先の対応,その後の特許権者及び当該取引先の行動
等の,諸般の事情を総合して判断するのが相当である。」
(当てはめ)
「…本件において,被控訴人の競業者の取引先であるソニーに対する本件告知
が,特許権者の権利行使の一環としての外形をとりながらも,社会通念上必要と認
められる範囲を超えた内容,態様となっているかどうかについては,当裁判所も,
原判決の10頁下から2行ないし11頁15行と同様の理由により,控訴人の主張
は理由がないものと判断する。すなわち,①被控訴人は,当初,控訴人製品をソニ
ーに対し製造販売していた控訴人との交渉を行い,相当な期間をかけて,文書によ
り,控訴人製品が侵害であることの根拠となる資料を示すなどして,和解による解
決のための交渉を行ったものの,最終的に交渉が進展せず,膠着状態となったこと
から,ソニーに本件書簡を送付したものであること,②本件書簡等のソニーあての
書簡において,被控訴人は,本件特許及び対応外国特許の内容を示した上で,ソニ
ー自身の行為が特許権侵害に該当するので,自身の行為についての対応として自ら
の判断により交渉に応じてほしい旨を繰り返し述べていること,③ソニーは控訴人
製品を用いて磁気テープを自ら製造販売しているのであって,単に侵害被疑製品の
流通に関わるか又はこれを使用するかするだけの者とは異なること,④ソニーは,
世界有数の大企業であり,高度の技術陣を擁し,特許権侵害訴訟に対処する能力・
経験を十分に有すること,⑤ソニーは,被控訴人あての書簡(乙8)において,特
許侵害の有無について被控訴人と直接議論しないことによる自身の危険を十分に承
知していると述べていること,⑥現に,被控訴人は,ソニー・エレクトロニクス・
インク社及びソニーを相手として,米国において訴訟を提起していること,といっ
た事情が存在するものであって,これらの事情に照らせば,被控訴人がソニーに対
して本件書簡を始めとする一連の書簡を送付したのは,ソニーに対して本件特許等
の権利を行使することを前提として,社会通念上必要と認められる範囲の内容,態
様で,訴訟提起に先立って直接の交渉を行うために行ったものと認めるのが相当で
ある。
したがって,被控訴人がソニーに本件書簡等を送付した行為は,本件特許
又は本件米国特許の権利行使の一環としてなされた正当行為と評価すべきものであ
って,特許権者の権利行使の一環としての外形をとりながらも,社会通念上必要と
認められる範囲を超えた内容,態様となっている行為とみることはできず,結局の
ところ,不正競争防止法2条1項13号所定の不正競争行為に該当するということ
はできない。
控訴人は,米国のディスカバリー制度が多大な時間と費用を要し,いやが
らせや和解等を強要するための訴訟戦術として利用される等の弊害があり,本件に
おける被控訴人の意図が,まさにいやがらせによる和解の強要にあった,と主張す
る。しかし,本件米国特許の侵害の問題について,米国の訴訟制度を利用すること
は当然であり,これをもって被控訴人が和解を強要したとする控訴人の主張は,失
当である。また,控訴人は,被控訴人が米国における訴訟において,訴状の送達の
前に和解金の支払を迫るだけで,侵害の証拠を明示しなかったことを,和解強要の
根拠として主張するけれども,民事紛争においては,手続のどの段階において和解
の可能性を探るかについては訴訟当事者の自由な判断に委ねられているのであるか
ら,被控訴人が米国において,訴状の送達前に和解の可能性を打診したことをもっ
て,控訴人の主張するような,いやがらせによる和解の強要に該当するものという
こともできない。控訴人が引用する甲12の書簡も,単に,米国における訴訟手続
を利用することを述べただけであり,控訴人の主張の根拠となるものではあり得な
い。
(3) 牛歩戦術との非難について
控訴人は,本件書簡の第4段落において,控訴人が侵害を否定して牛歩戦
術を行ったと記載したことが,ソニーに対する本件特許の行使に必要な限度を超え
た記載であり,控訴人の営業上の信用を害する虚偽の事実の告知に該当する,と主
張する。
本件書簡の第4段落の記載は,「同和は,…今のところ友好的な解決に向
かうための提案を出さず,代わりに解決を避けるための牛歩戦術(原文 delaying
tactics)を行っています。」というものである(甲1の1)。本件書簡におけるこ
の記載は,ソニーによる磁気テープの販売が,被控訴人の本件特許を侵害するもの
である,との第3段落における被控訴人の見解表明に続く第4段落中にあり,本件
のような場合には顔料(控訴人製品)の製造者である控訴人と連絡を取り,解決す
るのが被控訴人の通常の方針であることを述べた上,それにもかかわらず,ソニー
と連絡を取ることにしたのは,本件では控訴人と交渉して解決することが不可能で
あるためであるとして,その理由を述べる部分の一部としてなされたものである。
控訴人と被控訴人との間の本件特許侵害の有無についての交渉は,平成5
年5月から平成6年3月までの間において多数回にわたり書簡のやりとりがなされ
たものの,途中からは交渉が進展しなくなり,膠着した状態となったことは証拠
(甲2ないし19)から明らかである。この状態をどのようにとらえるかは,立場
によって異なり得る。特許権者である被控訴人の側から見れば,被控訴人は,控訴
人製品についての電子顕微鏡写真等の証拠を開示しているのに対し,控訴人の方か
らは,積極的な反論及び反証がなされなかったため,交渉が行き詰まった,ととら
えることが十分に可能である。控訴人の側から見れば,控訴人製品等のサンプルを
積極的に開示し,反論等することは,控訴人の営業秘密を開示することになり,安
易にできることではなく,また,被控訴人が本件特許についての明示的な解釈及び
控訴人製品について分析した適切な証拠を示さなかったことが,交渉が膠着状態と
なった主たる原因である,ととらえることが十分に可能である。
このように,被控訴人の本件書簡における「牛歩戦術(delaying
tactics)」との表現は,被控訴人からみた控訴人の交渉態度ないしは戦術について
の評価を含むものであって,そのような評価自体が不適切であるかどうかについて
は,それぞれの立場の違いがあり,一概にはいえない面があること,この表現は,
被控訴人がソニーを相手方として本件特許を行使するに至った経緯及び理由を示す
ために記載されたものであり,本件米国特許に基づく訴えを提起する前に,この権
利行使の一環としてなされたソニーに対する警告行為に付随して記載されたものに
すぎないことからすれば,前記のとおり,正当行為と認め得るソニーに対する警告
行為に一体として含まれるものと解するのが相当であり,仮に,表現自体として不
相当な要素があるとすることが許されるとしても,本件特許の権利行使に必要な限
度を超えてなされた,控訴人の営業上の信用を害する虚偽の事実であるとすること
までは,許されないというべきである。
(4) 本件米国特許の非侵害の立証の不要性について
控訴人は,本訴において,被控訴人が,ソニーに対し,本件書簡を送付
し,ソニーが控訴人製品を使用して磁気テープを製造販売する行為は,被控訴人の
本件特許(日本特許)を侵害するものである,と警告した行為が,不正競争防止法
2条1項13号に該当する,と主張しているのであり,本件書簡中の,ソニーによ
る磁気テープの製造販売行為が被控訴人の本件米国特許を侵害するとの本件書簡中
の記載部分については,本訴において不正競争行為であるとは主張していない(こ
の記載部分は本訴の請求原因に含まれていない)ことは,記録上明らかである。し
たがって,ソニーの子会社による磁気テープの製造販売行為が,被控訴人が有する
本件米国特許を侵害するかどうかを,本訴における判断の対象とする必要はないと
いうべきである。控訴人の指摘するところは,この限りにおいて正当である。しか
し,原判決も,この点は予備的に判示しているものにすぎないのであるから,この
点についての控訴人の指摘は,原判決の結論には影響しないことが明らかである。」
(東京高裁山下判事、平成14年8月29日)
◆関連:
(2017.8.24. 弁理士 鈴木学)